郵便番号・住所 | 522-0353 滋賀県犬上郡多賀町月之木30 | |||
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寺院名 | 西性寺 | サイショウジ | ||
山号 | 青龍山 | セイリュウザン | ||
交通 | 近江鉄道多賀駅より徒歩20分 | |||
電話番号・FAX番号 | ||||
Eメール | ||||
開基 | 三修上人 中興 普広正林大徳 | |||
寺歴 | 承和年間(834-847)より元亀3年(1572)までの間、現在の名神高速道路多賀サービスエリアの地に清龍山敏満寺(伊吹山の三修上人が開山)があった。敏満寺は、元亀3年(1572)の織田信長の兵火にかかり、全山消失してしまった。その際、幾多の仏像仏具が火難を逃れて、隣寺あるいは民家に秘蔵されていた。 織田信長の法難を被る以前、現在の西性寺が所在する地に、久徳城の出城である月ノ木城があった。月ノ木城は、永禄11年(15689月、浅井長政の攻略によって落城していたので、その地に仏堂を建立して、敏満寺より搬出されていた仏像を再祀して、戦死者の菩提を弔ったことに始まる。ゆえに西性寺の山号である青龍山は、敏満寺の山号であり、西性寺の寺号は、敏満寺山内にあった寺院名であると伝える。因みに、浅井長政に滅ぼされた当時の月ノ木城城主は、村山氏であって、伊井直弼大老の寵愛を受けた村山タカ女は、月ノ木城主村山氏の子孫であると伝えられている。 寛文年間(1624-1644)の中興以後、寺観も漸次調えられると、村山・川上・川口・信楽・北村・山路・山本の各家より住職となる人が出て、寺を営んでいたことが『過去帳』によって知られるが、このような制度は、典型的な氏族による寺院運営制として注目に値しよう。 太平洋戦争後は、宗教法人法にのっとり法人格を得られたものの、兼務住職による活動によって支えられてきた。現在檀家は、山路氏・山本氏の2家のみである。 |
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現在の本堂竣工年 | ||||
本尊 | 阿弥陀如来 | |||
寺宝 | ||||
住職 | 杉原 照真(兼務) | スギハラ ショウシン | ||
主な年中行事 | 1月2日 | 修正会 | 5月12日 | 開山忌 |
7月 | 盆参り | 11月 | 天台大師報恩会 | |
専用墓地 | ||||
駐車場 | ||||
その他 |