由来 |
圓林寺の千手観音像には、古い縁由がある。そもそも神亀年中(724-729)聖武天皇国家安泰のために行基大僧正に詔し彫刻された本尊仏である。その後、桓武天皇遷都にあたり、この観音像を長岡京の山寺に移し護念されていたが、その後兵火により行方知れずとなった。
当山の開基である行慶和尚は、千手観音の秘法を修して感応あり。観音の示現により、長岡西の林に行き着き、寂莫たる草堂傾き倒れるなかに、赫々と光明を放つ千手観音を見出した。行慶和尚は、寛文10年(1670)2月、戦国時代の山城砦であった当地山上に平安を祈願して本堂を造立し、本尊にこの千手観音像を遷座泰安したのである。この時、地頭の有馬采女正殿が当山境内地を寄付され、やがて観音の瑞夢によって、「西向山・利生院・圓林寺」と三号が用いられた。
その後、宝永2年、寂恵和尚が本堂再建の時、本尊千手観音を地主像とし、別に阿弥陀仏を奉請して本尊とした。享保17年(1732)2月28日、宝鏡寺宮の御帰依により、お家司黒崎大炊勝氏より「西向山」の扁額ならびに提灯等の寄付があり、天下泰平・殿中安全の祈願が命じられた。その後、種々の逆境を越えて、平成の今日まで信仰維持されている。 |